幼稚園の頃から高校まで一緒だった私の親友が、東京で就職するため地元から離れることになりました。
ずっと一緒にいた分寂しい気持ちがなかなか消えなかったのですが、離れ離れになる少し前に親友にプレゼントとして渡したのがアンジェラ・アキの『サクラ色』です。
離れる直前になってもなかなか素直に言葉で伝えることができず、親友が上京する日にこのCDを渡す事しかできませんでした。

 

その後は電話やメールでやり取りをしていましたが、やはり常に一緒にいた人が遠くに行ってしまった事でより親友の大切さが分かりました。
そんな日々が続いたある日、アンジェラさんが活動を休止するというニュースが流れ、最後のライブは生で見たいと思ったのでその親友を誘い最終公演を見に行くことにしたのです。
その日は、アンコールの最後の曲がサクラ色でした。

 

親友と離れた数年前と今、私たちの関係は何も変わらずあの頃のままです。
今だからこそ、この曲の歌詞『あなたから離れて自分を知った』というのが身にしみて分かります。
親友と離れたことで強くなった絆と私自身。

 

しっかりと繋ぎとめてくれたのがこの曲でした。
今でも春になると聴いています。

 

 

 

私にとっての思い出の一曲は、カーペンターズの『 Top of the world』という歌です。
中学一年生の三学期も終わりに近づいてきたある日のことでした。
終業式の日に、先生にサプライズで感謝の気持ちを込めてなにか歌を歌おうということになりました。

 

そして、音楽の授業の時に、クラスメイトの皆と音楽の先生とで相談して、決まった歌がこの『 Top of the world』という歌でした。
それから音楽の授業の時に、少しばかし練習時間を取らせてもらって、先生のピアノ伴奏にのせて、皆で練習しました。
初めの内は、洋楽を歌うのは初めてだったので、皆ぎこちなさがあり歌声もまとまっていませんでしたが、日が経つにつれ、皆の気持ちが合わさってゆくにつれ、歌声もまとまってきました。

 

少し英語の読みに慣れて、スムースズに歌えてくるようになったことも、とても嬉しかったです。
そして、終業式。
中学一年生最後の日。

 

先生の話が一通り終わり、先生が『さようなら』と言う前のタイミングを見計らい、皆で先生の周りに集まり(先生は、何事かととても驚いていました)、皆で『 Top of the world』を歌いました。
先生はとても嬉しく感動したらしく、終始、ハンカチで涙を拭っていました。
そして歌い終えた後、先生が鼻をすすりながら『皆、ほんまにありがとうな』と、とても嬉しそうに言ってくれました。

 

この時の皆のとても嬉しそうな笑顔が今でも忘れられません。
本当にいい思い出になった、中学一年生の三学期の終業式の日の出来事でした。

 

 

 

私の高校の卒業式の時にBGMとして流れていた曲です。
その曲は、スピッツの「楓」という曲です。
今でもこの曲をきくと卒業式の感動がよみがえります。

 

しんと張りつめた厳粛な空気の中で流れるやわらかいマサムネさんの声のギャップがとても印象的で、3年間の楽しかった思い出が曲とともに流れていきました。
高校を卒業してからも、春になるとよくこの「楓」をきいて思い出に浸ります。
時々実家に帰ったときに、車を運転しながらこの曲をきくと、当時の友人に会いたくなってたまりません。

 

年をとった自分がかなしいけどマサムネさんの声でやさしい気分にさせてもらえます。
桜の花にとてもあう曲なのではないでしょうか。
普段は洋楽やロックばかりで、Jpopはあまり聞かないのですがこの曲だけはずっときいています。

 

今までたくさんの曲を聴いてきて、たくさんのライブにも行ったのですが、やはりこの曲と同じ感動は生まれませんでした。
私のなかでは一番大切な曲です。

 

 

 

この曲は2008年にリリースされ、北京オリンピックのテーマソングにもなっていましたね。
当時は30台前半でサラリーマン、残業や突然の出張も当たりまえのいわゆるブラック企業に勤務していました。
数年間付き合っている彼女は居たものの結婚するつもりも無く別れるのが面倒なだけで付き合っているような関係。

 

そんなときに出会ったのがGIFTです。
どちらかと言うと恋愛や結婚に対して歌ったような歌詞なんでしょうが人生に迷っている自分にはすごく心に残るフレーズがたくさんありました。
「白か黒で答えろと言う難題を突きつけられ」、「地平線の先にたどり着いても新しい地平線が広がるだけ」、30台に差し掛かり結婚や仕事について思い悩むことが多くなった自分には非常にリアルに感じられる歌詞でした。

 

あれから時がたち、今では仕事を辞めフリーで働いています。
何とか生きて行けるだけの収入、未だに悩むことも多いです。
今でもふと聞きたくなる自分にとって無くてはならない名曲になっています。

 

自分がギフトを渡した相手は当時の彼女ではありませんでしたが、今では違うパートナーと幸せに暮らしています。
これからは幸せを感じることのできる一曲として聞き続けられる、そんな曲になりました。

 

 

 

私の切ない片思いの曲。
それは倉木麻衣さんの「Stay by myside」です。
私が社会人になったばかりの時のことです。

 

私には大好きな人がいました。
就職活動で出会いました。
彼は東京で就職希望でしたが、なかなか内定が出ず静岡の浜松で就職が決まりました。

 

彼とは、出会ってから毎日連絡を取りました。
私も彼も気持ちを打ち明けることはできず、別々の土地で社会人となりました。
離れてからも忘れられず、彼を追いかけて浜松に行くことにしたんです。

 

新幹線の中でドキドキしなが、この曲をずっと聴きました。
何回も何回も聴いて、自分に言い聞かせました。
「stay by my side いつかずっと傍に居られる日まで 捨てない限り 夢は逃げて行かない」歌詞が全て、あの頃の私と重なったんです。

 

涙をこらえて、必死に彼の元へ向かいました。
切ない切ない恋でした。
結果、私達は結ばれませんでした。

 

そして、何年もかかって忘れました。
あの曲を聴くと、あの頃の切ない気持ちをはっきりと思い出します。
辛かったけど、人をあんなに好きになれて本当に幸せだったなぁと今ではあの曲と共に大切な宝物です。

 

 

 

30年近く前、当時アメリカで高校生だった私は、学校の行事で歌を披露する事になり、あえて日本語で歌おうと思い、ピアノの弾き語りで、いとしのエリーを歌いました。
最初はみんな静かに聞いていたのですが、エリーマイラ〜ヴ、ソースウィートのサビ部分の何回目で大合唱になりました。
日本語の歌をアメリカにも広めたいと子供心に思っていたのですが、まさかの大合唱に感激し、絶対に音楽を通して、海外と日本の架け橋になりたいと誓いました。

 

翌年、レイチャールズが、いとしのエリーをカバーしてリリースしたのですが、その時に友達が、これ、あなたが歌ってた歌よね?と!こんな奇跡あるんだ!と思い、そのままアメリカで大学に進学し、卒業後帰国し音楽業界に入りました。
そして、まさに日本のアーティストを海外に進出させる仕事に就き、沢山のアーティストに海外で日本語の歌が通用するという実感を得て貰い夢が実現しました。
今では、日本のアーティストが海外でも人気を得るのが普通になってきましたが、その先駆けとしてのいったんを担う事が出来たきっかけとなった曲が、この、いとしのエリーです。

 

未だにその時の思いを胸に人生謳歌しています。

 

 

大学生の頃の話。
特に目標も無く、将来何をするのかも決まっているわけではなく、ただその日その日を友達と集まって楽しく過ごすだけの生活でした。
学校に行ってバイトをしてみんなで飲みに行って遊んで。

 

そんな中3年生になって周りのみんなが将来の目標を定めて就職活動を始めるんですが、自分は一向に目標が出来ない。
どんな仕事をしたいのかも決まらず。
そんな時でした。

 

自分の大学の文化祭。
前夜祭にとあるアーティストが来る事が決まりました。
チャコールフィルターというバンドです。

 

メジャーデビュー当時から好きでよく聞いていたんですが、いかんせんライブに行ったりする習慣が自分には無くて生で見るのは初めて。
もちろんライブという物を体感するのも生まれて初めてでした。
自分の大学という事もあって早い段階から最前列を確保して、ファンに混じって盛り上がっていました。

 

ちょうどその頃彼らが新しくリリースした新曲『孤独な太陽』とても良い曲でリリースと同時に買って聞いていたので、それが生で聞けた時の興奮は今も覚えています。
その時の体験がきっかけで今は音楽関係の仕事をしています。
今の自分があるのはあのライブのおかげなので、本当に感謝しています。